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公文 松山横河原教室
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私が小学4年生ごろ、父が上がり框に置き手紙をしていた。携帯電話のない時代ゆえ、人のいない家に帰り、驚かぬように配慮して、チラシの裏を利用して、書いてくれたようだ。普段なら、母がこまめにメモを残してくれているから、何とも思わないものを、その日のメモ書きはなぜか父だった。

チチ、かあチャン、大王せいし、行テくル

田んぼニハ、おらん。

イエにオレ

解説: 父と母は、仕事で、大王製紙に行ってきます。

田んぼにはいないので、心配せず、家で待っておきなさい。

決して走り書きではなく、たいそうな時間をかけて書いただろう、このメモ書きを見て、自分の父親がどのぐらいの学力か、朧げに理解できたように思う。個人で木材の運搬を請け負い、トラックを走らせていた父に、勉強を教えてもらおうと思ったことはないし、勉強しろとも言われなかった。家事や農作業を手伝えとは何度も言われたが・・・

81歳の私の父、最近直近の出来事や会話を瞬時に忘れる認知症の症状著しい。もともと社会性がなく、18歳から70歳まで一人で運送業を仕事としていて、他人と話すことが何より苦手。とはいっても、苦手なものは他にもたくさんある。家事一斉は、子供のころから今に至るまでしたことがない。できるのは、やかんでお湯を沸かすことぐらい。御飯炊けない、洗濯機使えない、ATM使えない。小学校は国民学校だったから、文字もろくに学ばずに、竹やりで突いたり松脂を採ったりして、飛行機乗りや海軍の白い制服に憧れた軍国少年だったようだ。貧しい小作の家に生まれ、小学校も、田んぼの暇なとき、いったぐらいではなかろうか。

3年前に母が死に、いよいよ気落ちし、日常は私たち娘家族が支えているものの、喋ることは、「足が痛い」「NHKの天気予報が見たい」「保険証がない」みたいなことばっかり。繰り返し日時を尋ねたり、着ていた服を探したり、するものだから、「認知症が、きてる、きてる。」と、感じた私は、早速、公文の学習療法のドリルを購入してやらせ始めた。

日時、時間を書いて、名前を書いて、学習を始める。壁に掛かっている時計を見て、漢字、数字の混じった文字で時間を書く。何度も見直して、書こうとする。書こうとすると、その前に忘れるので、また見る。そんなことを繰り返しているうちに、分針は書く前にずいぶんと動いている。名前だけはそらで書ける。すらすら書いているので、思わず、拍手してしまう。

「つぎの○○○を読みましょう。」と父。

「これなに?」○○○の単語を指さして、私は、読まそうとするが、父は読めない。飛ばして、次に進もうとする父を制して、読まそうとする私。

諦めて、やれやれっという感じで、「○○○なんぞ、これ」と父は質問をする。

「紀行文って読むのよ。旅の様子を綴った文よ。」

「ほうか・・・。」しばし沈黙の後、突然  「・・・岡山から、香川に来て、金比羅さんをおまいりしました。」ひらがな付きの文章を読んでいく。しばらくして、やっと得心がいったようで、「ああ、旅の話ってことか。」一人で納得してる。

こんなやりとりを繰り返して三日目、父は、「次の紀行文を読みましょう。」って一人で読むことができるようになった。

紀行文って単語を覚えさせて勢いづいた私は、四日目、食事の後、父を誘って、ドリルをさせようとする。「お父さん、勉強しよ。」ところが全く乗り気でない父は、うつろな目で、「勉強しんどい」と言う。

「文読むだけじゃん、しよ。頭使わんと、脳細胞死んでしまうわ。」と私は言いながら、例の父の手紙を思い出した。父は認知症で忘れたわけではないのだ。もともと、入っていないのだ。音読させて脳細胞に刺激を与え、記憶を取り戻すのではない。もともとない知識を新たに、入れていかねばならないのだ。知らない言葉と現実の生活での経験をすり合していかなければならない。

父にとって勉強はやはりしんどいものだろう。日にちを思い出すのも、時間を書くのも気の遠くなる作業に違いない。知らない言葉に出くわすと読めないから、まったく先に進めない。いやにもなるのも当たり前。だから学習には絶対指導者が必要。褒められたり、励まされたりしなければやってられない。

だから今日は孫と一緒にお勉強。お勉強はしんどい。でも、励ましてくれるし、褒めてもくれるし、なんといっても、そばに、寄り添ってもくれる。だから、しんどいけれど、勉強したい。そんな風に、言ってくれる日が来るといいなあ。父にも言ってほしいし、教室の生徒にも言ってほしいと思っています。

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